ツキを呼び込む100の法則
ツキを呼び込む100の法則
この書は、成功への道標である、その道標は百話ある。自分の人生に迷いを覚えた時、この書のどこかを開いて見たまえ。その答えは、どれかの道標に記されてある筈である。
第一話 相手はなにを考えているかを知れ
ツキを自分に呼び込むための第一条件は「相手は今なにを考えてい
るか?」という配慮、すなわち代理想像ができるかどうかにかかっ
てくる。自分を相手の立場に置き代えてみる。そして、自分がこの
ような言動をすれば、相手はどんな感情を抱くだろうか?というこ
とを想像してみるのである。
これのできない人間は、この世ではまず成功者たり得ないであろう
し、かりに非常な幸運のもとに一時的な成功を収め得たとしても、
いずれは他人の裏切りなどによって足元をすくわれ、その成功を
失ってしまうのがオチであろう。とはいえ、この代理想像の意味
は、決して、他人の顔色ばかりをうかがって、戦戦恐恐としている
ということではない。また、いかに代理想像力に秀れているからと
いって、我々は読心術を行なえる魔術師ではないし、またそうなる
必要もない。
これは、チェスや将棋などの指し方に似ている。指し始めから中盤
までは、定跡にかなった指し方をしていることが多いものである。
このような間は、あまり思考エネルギーを費やせなくてもよい。そ
して、何かチラと疑念が湧くような指し方が盤上に現れたら、そこ
でやや長考し、危険を見出し、それを回避するよう努めねばならな
いという。
要は訓練と習慣であろう。他人との会話中、そのチラは何となく自
分に感じられるものである。そしてそのチラは何によらず、一つの
危険信号であると考えて差しつかえない。相手が俄かに声高に喋り
始めた時、また逆に沈黙し、言葉少なくなになった時、視線が他の
何かに移り始めた時。このような時、調子にのって自分ばかりが話
しつづけていると、それは自分のツキを失い、成功への道を閉ざす
ことにもなりかねない。
第二話 相手の言動を察知せよ
相手の言動にチラと現われる危険信号を察知するためには、船の舵
手のように、ふだんはゆったりとした気分で、行く手の海面を見渡
していれは良い。といっても、これは舵手がよそ見をしていたり、
眠ってしまったりしてはいけないことは自明の理であろう。そし
て、相手の言動にこのチラが現れたら、そこから生ずる危険を回避
するための方策を直ちに講じなくてはならない。では、どのような
方策を用いれば、それを回避できるのだろうか?考えられるのは次
に示す三つの対応策である。
1.話題を他に変える
2.自分は黙り、相手に話させる
3.最悪の場合、直ちに引きさがる
話題を他に転ずるには、相手に同意を求めるような内容のものは避
け、例えば天気の話、新聞記事の話題などに、さりげなくふれるこ
とである。そして、その話題に相手がのったら、相手になるべく話
させる。大切なことは、最前の危険信号の出た話題に戻らないよう
に、ひそかにつとめることだ。相手の反応の調子がどうも思わしく
なかったら、様子を見ながら、その日は引きさがることだ。その
際、大切なことは、敬意を表しながらも、あっさりと別れを告げる
ことである。
第三話 言動の危険信号は、不機嫌によるもの
と知れ
文豪パルザックの言葉に次のようなものがある。「友人同士、自分
が相手より少しすぐれていると思っている限り、その友情はつづ
く」人間は自分が他よりいくらかでも優っているという確認を無意
識の内に、そして常にとりたがっている生物である。ゆえに、自分
が少しでも他より劣っているのではないかとの懸念に襲われると、
甚だしく動揺し、かつ苦しむのである。
かつて私は、古い友人にむかって、その頃出会ったある有名人につ
いて、その機智とアイデアの奇抜性について、心から驚いたといっ
て賞讃したことがある。すると披は「あの人物の知恵は学術的な知
識によって裏づけられたものではなく、ただの卑俗な、いわゆる経
験則というものに過ぎない」といった。この時、私は調子にのって
「しかし、考えてみれば、すべての知識は経験則であるといえない
だろうか?」といってしまった。
彼の表情には明らかな不快感が生じ、声高に、しかも口早に、その
有名人の知的価値についてこきおろした。「しまった」と私は内心
思った。彼は公立大を出たエリートで、アカデミック尊重タイプの
人間なのである。私は、とうとうと喋る彼の言葉に、まずじっと耳
を傾け、彼の興奮が静まるのを待ち「確かに、いわれてみれば、彼
(その有名人)の知識内容は、浅薄なところもあるなあ」と同意し
て、その場を切り抜けた。
第四話 相手の自己重要感を高めよ
「歯の浮くようなお世辞と解っていても、女性は自分への讃美に対
し悪い気はしない」ということわざがある。これは何も女性に限っ
たことではなく、世間の大多数の人間がそうなのである。人々は自
己重要感の低下を何より恐れている。それぞれを高めてくれる言葉
に接すると、たとえそれが嘘と解っていても嬉しいのである。
自分を嬉しい気持ちにさせてくれる相手に会うのは、また嬉しいも
のである。だからこの人はお世辞をいった人に魅きつけられるので
ある。私はここで何も、歯の浮くようなお世辞を奨励している訳で
はない。しかし、相手の自己重要感を高めてあげるには、まず相手
を尊重しょうとする態度が必要であることを強調したい。
「自分以外の人は、すべて皆わが師」とは、吉川英治の言葉であ
る。他の人をわが師として敬意をもって接したらどうであろうか。
その人の自己重要感は甚だしく高められるであろう。これは他人を
幸福にする方法である。そしてこの人は、その幸福を与えてくれた
あなたに対し、強い魅力を覚えることだろう。
すなわち、その幸福感を再び味わいたいために、あなたにまた会い
たくなるのだ。その上に、あなたは信じないかもしれないが、これ
らの人々は、その与えられた幸福のお返しに、さまざまな幸運をあ
なたにもたらすのである。ある時は「おカネ」を。またある時は
「コネ」や「情報」を・・。つまりこれが「ツキを呼び込む」ため
の最大の秘訣なのだ。
第五話 自分のペースを相手に合わせよ
相手を尊重するとは、具体的にいってどういうことであろうか?要
は相手のペースに自分をできるだけ合わそうという努力である。例
えば、時間についていえば、約束の時間より早過ぎて行くのも、遅
過ぎて到着するのもうまくない。これは、自分のペースに相手を合
わそうという行為であることに、この種の人々は気づいていない。
約束のその時を軽んずるということは、その相手を軽んずるという
ことである。
これは、当然、相手の自己重要感を引き下げることになる。一口に
いえば、相手は何となく「バカにされた」という感じを抱くのであ
る。そして、この不快感は、あなたからツキを奪う結果となりやす
い。また次のケースにも気をつける必要がある。自分の感じ入った
書物などを、目上の人、自分より力のある人、自分に利益をもたら
す可能性のある人に、不用意に読むことを勧めることには危険性が
ある。
これは会話中に、相手がその本に強い関心を示した時のみ、それを
勧めてよろしいが、相手が何もいわないのに、それを読むようにと
いうのは、相手の知識の程度を軽んずるものである。つまり一口に
いえば、これも「お前の知能程度は、まだまだ低いから、この本を
続んで、もっと勉強した方がよいぞ」といっているような感じを相
手に与えてしまうのだ。
また、自分の気に入った物、好きなものを、相手の好みを打診せず
に贈るのも、相手の苦笑をさそうことがあるものだ。これも、相手
のペースに一切考慮しない行動の表れである。およそ成功者たらん
とする者は、まず敵をよく知らなければならぬことは、孫子の兵法
の言葉を待つまでもない。
第六話 忠言には危険性が伴う
古語に「面をおかして諌言する」という言葉がある。これは、臣下
が王の不興をこうむるのを承知で忠言をなさんとすることだが、こ
の「面をおかす」という意味は、考えてみるに、相手の面目つまり
プライドをつぶしても、相手の間違いを正そうということだと思
う。この場合、臣下は王の激怒を買い、よく殺されてしまうのだ
が、臣下はその死を覚悟して諌言するのである。
忠言、アドバイスという行為には、逃れられぬ一つの宿命的な副作
用がともなう。それは、相手の間違いを指摘する結果「あなたは愚
かである」といわれているような感情を柏手に抱かせてしまうこと
である。これは当然、相手の自己重要感を低下させることになり、
相手はその苦しみに悲鳴を上げる。すなわち、これがあなたに対す
る怒りである。
ところが、現代における忠言者は、この理に気つかない。それどこ
ろか、自分は良いことを相手に教えているのだから、相手は自分に
感謝すべきである、などといった甘い期待を漠然と持ちながら、忠
言をするのである。知らなければならないのは、忠言は常に「相手
の面をおかす」という副作用がともなっていることである。
そして、もし、その忠言をするならば、昔の王の家来がしたような
一つの覚悟が必要である。その覚悟とは、すなわち、自分に対する
好意を失う可能性が十分にあり、もしそうなっても仕方ない、とい
う覚悟である。そのような決心を必要とする場合は、人生において
は、よくよくの場合であり、そうめったにあるものではない。多く
の場合、忠言は、自分からツキを失わせる衰運の行為であると思っ
て差しつかえない。
第七話 ツキは魅力によって引き寄せられる
「ツキ」とは具体的にいえば、どういうことなのだろう?「地位の
昇進」「よい女に好かれる」「コネを得る」などもあるが、総じて
それは「物質的恩恵が自分の方へやってくる」という意味であり、
もっと端的にいうならば、それは「おカネがこっちにやってくる」
ということである。
おカネは人間の発明した「物の象徴化されたもの」であり、そして
そのおカネは、人間に付随して動き廻るのである。つまり、おカネ
を引き寄せるということは、人間を魅きよせるということであり、
更にいえば、それは人間の気持ちを自分の方へ引きつけるというこ
とになる。すなわち、ツキは魅力という磁石的吸引力によって、自
分の方へ引っぱり込むことができるのだ。
だから、あなたは自分に魅力をつければ、あらゆるツキを自分の方
へ向ける好運人間になれるのである。では、その魅力はどうやった
ら自分の身につけることが出来るのか?その原理は至極簡単であ
る。要するに、他人に快感をもたらせば良いのだ。つまり、人をよ
い気分にさせてやれば、その人は再びそのよい気分にひたりたいた
め、あなたに魅きつけられてくるのである。よい気分とは、つまり
「充足感」である。人間にとって、この充足を必要とするものは次
の五つの本能的衝動である。
1.自己生存欲(飢えの怖れ)
2.群居衝動(人と一緒に居たい)
3.自己重要感(優越感)
4.性欲(異性と交りたい)
5.好奇心(新情報を求める)
この五つの内どれかを充足してやれば、直ちに、人はあなたに魅き
つけられる。
第八話 相手に快感をくり返し与えよ
たとえば、ある女性を好きになったとする。これは無論、性欲の対
象としての意味である。すると、あなたは彼女の歓心を得ようとす
るだろう。この「歓心を得る」という行為が、相手に快を与え、そ
の代償あるいはお礼として、相手は愛と肉体による、あなたの性欲
を充足させるための支払をしてくれることになるのだ。
すなわち、4の性欲を満たそうと欲するならば、この4以外の四つ
の本能的衝動のいずれかを、相手に対してサービスすることであ
る。
1の生存本能にはプレゼントするかオカネを与える。
2の群居衝動には、常に友愛をもって接し、思いやりを示す。
3の自己重要感には、相手を魅力ある女性だと陰に陽に讃美する。
5の好奇心には、常に面白い話題、また相手の興味をもっている情
報を提供しようとする。
以上のような手段をもって接すれば、披女はあなたに魅きつけられ
るだろう。なぜならば、生物には「快楽原則」という反射的行動が
あり、快感をもたらすものには近よりたがり、不快なものからは逃
げたがるものだからである。快感をくり返し与えてくれるあなたに
は、その快感を得たお礼に、あなたの性欲を充足させることによっ
て報いてくれるのである。
ところが、えてして男は愚かにも、1のプレゼントをしながらも、
3の自己重要感を傷つけてしまい、相手の女性の不快をかってしま
うことが多い。この結果、相手は逃げ去り、あなたはプレゼントに
オカネを費っただけ損になる。そして、あなたの性欲は充足されな
いから、これは「ツキをのがす行為」であるといえよう。
第九話 心から関心をもって相手の話を拝聴せ
よ
俗にいう「口八丁、手八丁」という、弁が立ち、才覚のありそうな
人は、意外とセールスマンとしては、大きな業積を上げ得ないこと
が多い。生命保険の外交員で、年間業績におけるトップの契約高と
なった杉並区のある主婦は、サラリーマンの奥さんで、ごく地味な
タイプ、二児の母親であった。
この主婦がトップの成績を占めたのは、企業や、大組織のかなめ要
にある重要人物に接近し、その心を捕え得たからである。そして、
この要の人物の口ききによって、団体の契約がとれて行き、雪ダル
マが坂を転がるように、一気に彼女の契約高はふくれ上がったの
だ。では、どのようにして、彼女はこれらの重要人物の心を動かし
得たのだろうか?
贈り物攻勢を行なって、1の生存本能に訴えたのだろうか?いや、
ワイロまがいのやり方では、決して大勢のそれらの人々を動かすこ
とは出来ないし、それに資本もつづくまい。4の性欲に訴えたのだ
ろうか?いや、それをするには、彼女は平凡な容姿であり、またす
でに二児の母親で、地味なタイプでありすぎる。
その答えは、次の二つのヒケツにあった。まず「相手はどんなこと
に興味を持っているか」を会話の間にさぐり出すこと。次には「そ
の興味ある話題に、自分も深い興味をよせること」の二点である。
そして、この二つを行なうように最も大切な行は「拝聴」する態度
である。心から関心をもって聞くのである。これによって相手は2
の群居衝動と、3の自己重要感が深く充足させられる。そして、そ
の何物にも優る喜びの代償として、彼女のために口ききの労を惜し
まなくなるのである。
第十話 相手の立場に立って考えよ
「おのれの欲せざるところを、人に施すことなかれ」という言葉が
ある。だが、その上に、時には「おのれの欲するところを、人に施
してはならない」場合も、ままある。それは、自分の欲しているこ
とでも、相手が欲していないことがあるからだ。ところが、いわゆ
る好人物といわれるような人は、相手のこの気持が見抜けない。こ
れは相手の立場になって考えてみるという、いわゆる代理想像力に
欠けているからである。
こうして、この好人物は、相手の迷惑に気がつかないまま、自分の
やっていることは親切な行為だと信じ切って、おのれの欲するとこ
ろを他人に押しつける。世に、よい人といわれながら、とにかく敬
遠される人物がいるのが、この例である。自分の身を振り返って気
をつけなければならない。
第十一話 礼儀は身を守る最大の武器である
「礼儀とは、相手に対し、真に敬意が生じた時に自然にそれが行為
となって現れたものである」と信じていたら、それはあなたの運気
を阻害している考え方である。礼儀が人間社会に生じたのには、そ
れぞれの必要性によるさまざまな理由がある。長幼の序、階級的秩
序を立てるため、また、野卑な言動を制し平和友好的な社会を保持
するため、といった理由である。
しかし、ここで注目すべきは、実に「礼儀は自分の身を守る武器で
ある」という点である。礼をもって相手を遇するというのは、相手
に敬意を表すという行為であり、これは相手の自己重要感を高め
る。相手はこれによって快感を覚え、したがって、その快感を与え
てくれたあなたに対して好意を抱く。そして、これがあなたの魅力
となり、ツキを呼ぶもととなるのである。
第十二話 欲望の火こそ、成功の原点である
運を興すものは、自分の内に燃え上がる欲望の火である。すべての
事が成るためには、この欲望の火こそ、その原点であり、この火な
くしては何によらず成功はあり得ない。故に、心の内に、常に願い
求める情熱の火をかき立て続けることが大切である。ところが、世
間の人々、周囲の隣人、友人たちは、善意からであるにしろ、それ
にとかく水を差すのである。
宗教家は欲望の悪をいい、清浄な無欲の境地をたたえる。友人たち
は、謙虚であれとすすめる。こうして、欲望の火は、その勢いが衰
え、その人は消極的な人生を歩むことになってしまう。人生は燃え
て生きるべきである。そして、その燃えるとは欲望そのものが燃料
になるのだ。問題なのは、燃料そのものが悪なのではなく、時に人
は、その欲望達成の手段において、悪となってしまうことがあると
いうことなのだ。
第十三話 欲望達成のため、一時的に欲を捨て
よ
心の内の欲望の火も、現実に燃える火も、その取りあつかいのやり
方は同じである。われわれ人間は誰でも、火のとりあつかい方を
知っている。かまどを築き、そこに鍋をのせ、食物を煮る。そし
て、その火が周囲に拡がるのを防き、火事にならないようにする。
また、ヤケドしないように注意することもできる。ところが、心の
火が燃えさかる時、とかく人はそれをうまくコントロールできなく
なるものだ。
たとえば、ゴルフで最後の一打が入るか入らないかで、チャンピオ
ンになれるか、なれないかの瀬戸際になると、日頃は、何でもない
容易なパットを、心の動揺でミスしてしまうことがよくある。この
時こそ、欲を捨てるのだ。これはチャンピオンになるという欲望そ
のものを最初から持つなという意味ではなく、むしろ、その欲望達
成のために無心になれということだ。
第十四話 相手の冷たさを容認せよ
「いざとなると、企業の側は冷めたいものですよ」と、その女子社
員は私にいった。彼女が「辞めたい」と申し出たら、陰に陽に冷た
いそぶりを上司が見せるのだという。「それは、あなたの考え方が
間違っています」と私は率直にいった。
「なぜなら、あなたは、まず会社側に辞めたいということによっ
て、冷めたさを表示したからです。冷めたさをこちらから、まず示
したから、相手側からも、その冷めたさが返ってきただけなので
す。それは意味もなく、偶発的に生じたものではありません」
まことに自分の周囲の人々とは、自分の鏡である。自分が暖かさを
示せば、相手も暖かさをもって反射するし、冷めたさに対してもま
た然りである。しかし、ここで誤解して欲しくないのは、私は何も
「人は常に暖かくあれ」と説いている訳ではないということであ
る。人生においては、時には、自分の都合により、他人へ対して冷
めたい態度をとらざるを得ない場合がある。
そのような折りには、ためらったり、他人に気がねしたりしている
と、その悩みのために病気になってしまうことすらある。そういう
場合は、断固として自分の意志をつらぬく必要もあろう。しかし、
そのような場合は、他人によって冷めたくあしらわれるのは、あら
かじめ覚悟すべきであろう。自分がまず冷めたくしておいて、なお
かつ相手からの好意を期待しようとするのは、正に甘え以外のもの
ではない。そして、この甘えというものが、しばしばその人から、
ツキを失わせる原因となるのである。
第十五話 成功タイプの人間は決心が速い
成功者の特質の一つに「決心の迅速果断」がある。成功するタイプ
の人間は、決心が速く、しかもそれを変えなければならなくなった
時、それを変える時期が遅い。つまり、なかなかその決心を変えな
いのである。これに反して、失敗者の特質は、なかなか決心できな
くて、迷いつづける。しかも、他人の言などに動かされると、すぐ
その決心を変えてしまう。
成功するタイプの人間には、ある種のいさぎよさがあり、失敗者の
態度には、常に優柔不断さがつきまとう。ではなぜ、この決心のと
りあつかい一つで、好運と衰運の分かれ目が生ずるのであろうか?
それは、人心の来たるか、去るかによって生ずるのである。すなわ
ち、いさきよさに人は魅かれ、優柔不断さに対しては、人は失望
し、そして去るのである。
およそ、人の成功とは、他人の助けなくしてはなし得ない。ゆえ
に、人心の寄り来たるは、ツキの寄り来たるとの同義語であると
思って差しっかえない。ツキを逃がす人間とは、人心を容易に去ら
しめる人間である。しかし、このような人間でも、好んで人心を自
分から離反させているわけではない。ただ、気づかずして、そう
なってしまうのである。
では、なぜそうなってしまうかというと、それは一言にしていえ
ば、自信つまり、自分を信ずることができないからである。無論、
ことにのぞんでは、他人の意見をそれぞれに聴き、それを参考とす
ることは重要である。しかし、その事を決するのは、あくまでも自
分であり、そして、その決定について責任を負うのも、あくまでも
自分自身なのである。この自立の気概なくして人心を魅きつけるこ
とは出来ない。
第十六話 ツキをもたらす説得法は「利」を示
すことだ
坂本竜馬は、憂国の志士たちか大論争をしている時に、その議論に
加わらす、かたわらにつまらなそうな顔をしていたという。そこで
一人が「なぜ、貴公は論に加わらんのか?」と訊くと、竜馬は「論
では人は動かぬ」と答えた。「では、何をもって、人は動く?」と
更に訊くと、「利で動く」と、ぽつりと答えたという。
これは正に至言である。しばしば、人は他人を説得しようとして、
非常に能弁になるものだが、それはかえって逆効果になり易い。説
得とは要するに、自分の欲するように他人を動かそうとする言動で
ある。では、その説得に応ずる場合にはどんなものかというと、次
の四つの場合が考えられる。
その一は前述したような「利」であり、この利益性に魅かれた時、
人は楽々と動く。次は、「善意の愛情」である。友情にしろ、異性
愛にしろ、また人類愛にしろ、人間の持つこの善性は、時にはゆす
ぶられ、無償の行為をもって応えることがある。第三は「憐憫」で
ある。哀れだと思って、不快感をこらえながら、なにがしかの援助
を与えることもある。第四は「脅し」である。他人の弱味を握り、
それをタネに、陰に陽に脅して、自分の意に従わせるのだ。
この四つの内、ツキを呼び込むやり方は、第一の「利」を示す方法
である。そして、その利益性を示すには多弁である必要はない。た
だ、明確に解りやすく、その説明が出来れば良いのである。相手が
それに理解を示した後、それに欲求の念を動かすかどうかは、あく
までも相手側の選択にかかっているのだ、と知らなければならな
い。
第十七話 自分の表情から寒気を取り去れ
多くの人々は「日のあたる場所」を求めて生きている。これは経済
的な意味においても、精神的な意味においてもそうである。人間
は、一般的にいって、寒冷な場所よりも温暖な場所に集まりたがる
ものだ。にもかかわらず、この世の中には、寒気を表情に浮かべて
いる人がなんと多いことか!試みに電車の中で、周囲の人々の顔を
うかがってみたまえ。眉をけわしく寄せている人、ひたいの中央に
しわを寄せている人。口をへの字に結び、目つきのけわしい人。こ
れらの人々は、みんな自分の周囲に寒冷の地をきづいている人であ
る。
勿論、これらの人々でも、気に入った人と相対する時、愉快な時
は、破顔一笑することであろう。しかし、大切なのは、その破顔す
る以前の基本的表情相である。これは後天的な人相であり、実際の
ところ、先天的な人相すなわち骨相などより、はるかにその人の運
命を左右するものなのだ。「三十才過ぎてからの顔は、その人の責
任である」とは古人の言葉である。これは、人々に暖かい安らぎを
与える顔であるかどうか、の意味にとっても差しつかえないと思
う。
このような表情は、自分で作れる。つまり、鏡を見て、顔の筋肉の
緊張をゆるめるのだ。ひたいの皮をのばし、口の両端にあるかなき
かの微笑、あのアルカイック・スマイル、「モナリザの微笑」を浮
かべてみよう。そして、日常の生活の中でも、時折り、自分の表情
に気をつけてみることが大切である。そして、少しでも、そこに緊
張があったら、常にそれを取り去るように気をつけることだ。
第十八話 ツキの量と魅力の量は正比例する
「ツキの量と魅力の量は正比例する」この法則はぜひとも知ってお
く必要がある。なぜなら、ツキとは人とのつきあいの場を介して、
そこに発生してくる、ある種の気運のようなものだからである。そ
して、好ましい雰囲気の中には、好運が育つものなのだ。魅力があ
るということは、より多くの人々を自分の身に引き寄せるというこ
とであり、また、それらの人々に好感を与える、ということであ
る。好感とは快感でもある。そして、その快感を求めて、あなたの
処へ引き寄せられてくる。そして、その快感へのお礼として、「オ
カネ」「コネ」「昇進」「愛情」「情報」などを、あなたに支払
う。これがつまり「ツキ」の正体なのである。
一方、次の法則もぜひ知っておく必要がある。それは「魅力の量と
悩みの量は逆比例する」という法則である。悩みは「陰」であり、
「寒気」である。人はこのような場所をあまり好まない。一般的に
人は日だまりを求めて移動するものである。だから、人々は寒い場
所を避ける。つまり、悩みを持ち、それを態度に表している人から
逃げ去ろうとするのだ。悩みが多ければ多いほど、その人の周囲に
は寒冷の地が築かれ、人々は去り、そして、ツキもそれに付随して
去るのである。これはすなわち、次の公式を示すことになる。
魅力-悩み=ツキ
つまり、悩みが少ないほど、ツキは増すのである。
第十九話 問題をかかえること悩みの量は比例
しない
悩みが多いとは、必ずしも、解決しなければならない問題を沢山か
かえている、という意味ではない。ここのところが、多くの世人は
間違えて考えているところである。問題とは外部にあり、悩みとは
内部にあるものなのである。そして、問題の量と悩みの量は必ずし
も正比例しないのだ。
スーパー成功者は、常に解決しなければならない問題を山のように
かかえているが、彼は精力的にそれらに取り組み、その解決に全力
をあげている。しかし、悩んではいない。これに反して、失敗者
は、僅かな問題にも、くよくよと悩み、自分の不運を嘆いたり、そ
の苦しみを他人に訴えたりするのである。成功者は、その問題を解
くのを、むしろ楽しんでいる風すらうかがえる。
これは、この成功者は、人生そのものを楽しもうとしているからで
ある。すなわち、彼は人生芝居という現在進行形のドラマを楽しん
でいるのだ。一方、失敗者にその余裕はない。注意しておくが、こ
の余裕とは経済的余裕を指しているのではない。あくまでも精神的
な意味の余裕である。
「なあに、まかり間違っても、命に別状はないんだ」といった風
に、多寡をくくって人生を眺める態度も時には必要である。人間に
とって最悪の状態とは、死ぬことだと考えてみるならば、人生にお
けるたいていの場合は、最悪の状態までは行っていないものであ
る。また、この最悪の状態は、つまり死は遅かれ早かれ、いずれは
だれの身にもやってくるのだから、その日のくることについて考
え、悩んでみても始まらない。
第二十話 問題をかかえている人間こそ、強力
に生きる
生きているかぎり、人間は必ず解決しなければならない問題に直面
する。「天は雨を雑草の上にも、稲の上にも降らす。天に人心な
し」と二宮尊徳はいった。この雑草を除き、稲が育つのに手を貸す
のが人道である、という。つまり、人生においては、除かねばなら
ぬ雑草すなわち問題が、次から次へと生じてくるものなのだ。
成功者はエネルギッシュに、その問題に取り組んで行く。そして、
失敗者は「なぜ雨は雑草の上に降るのだろう」と天を恨めしく思う
のである。人間で問題を抱いていない者は居ない。もしあるとすれ
ば、それは墓場に眠っている死者だけである。死人は問題を一つも
かかえていない。
これはつまり、問題をかかえていることが、生きていることの証し
だともいえよう。とすれば、より多くの問題をかかえている者は、
より強力に生きている人間であるという考えもできるのではない
か?問題に対し、その対応策をさまざまにめぐらし、その解決をは
かるということは、その問題について悩んでいるということとは異
なるのである。
私たちは、問題だらけの自分の人生について、不平をいったり、愚
痴をたれたりしてはならない。もしそのようにして、陰気を自分の
身の上において表現するならは、ツキはただちに自分の身から逃げ
て行ってしまうからである。
第二一話 否定的な話題を遠ざけよ
めんめんと自分の不幸を会う人ごとに訴えている人がいる。また、
他人の悪口を、辛辣、舌を刺すばかりに並べ立てるくせの人がい
る。いずれの場合も、このような話は案外に面白いもので、人はと
もかく、その話を聞くことを好むものである。なぜなら、それはい
うならば、一種の「地獄の穴のぞき」だからだ。
不要、恨み、怒り、悩みの中にもがいている人々を見るのは楽し
い。それは地獄の中にある人々であり、そしてそれらの人を見るの
は、自分は優越の地点より、そこを見おろしている安心感があるか
らである。ところが、ここで用心しなければならぬことがある。そ
れは、それらの人々と話を交しているうちに、自分も知らず知らず
の内に、その底なし沼に引きずりこまれて行くことだ。これは一種
の催眠術のようでもある。朱に混じわれは赤くなるように、自分は
それに影響されていってしまうのだ。
そして、気づいた時は、自分もその落し穴に落っこちて、地獄の人
の仲間入りしていることにもなりかねない。総じて、これらの地獄
の人は、ツキのない人である。そして、そのツキのなさが、その人
をして、不幸や悪口についてばかり話させるようになったのだ。ツ
キのなさは伝染する。それは会話によってである。陰気な話題は、
人を不幸にするパイキンに満ちていると考えて差しっかえない。こ
のような話題、またその話題の主から遠ざかるのは、自分からツキ
を失わないための第一条件といえよう。
第二二話 成功者に接触せよ
ツキのない人々と交わっていると、自分からもツキが無くなってし
まうように、その反対の現象もある。すなわち、ツキのある人々と
交わっていると、ツキが自分の方にもやってくるのである。富が欲
しかったら金持ちと、地位や名声が欲しかったらその道の成功者
と、出来るだけ接触する機会を持つことだ。
もし、直接的に会えないなら、講演会などで、その人の話を聞くだ
けでも良いし、それらの人の書いた本を読むだけでも、その効果が
ある。しかし、可能ならば、成功者と直接会話できるような境遇に
自分の身を置くことだ。もし、そのようなチャンスを得たならば、
それは、あなたにとって成功への道を一歩踏み出したことを意味す
る。
第二三話 成功者に接対しても、喜びを与えよ
成功者と相対した時、あなたは多弁であってはならない。あなた
は、相手から成功の零囲気を自分の身に浸透させるのが目的だか
ら、できるだけ相手に語らせ、それを拝聴するのである。いかなる
成功者も、自己重要感を持っている。
もし、あなたが彼を尊敬し、その敬意が陰に陽に彼に対し示される
ならは、それは彼の優越心をくすぐり、彼に喜びと快感を与えるに
違いない。彼はあなたに成功の零囲気を与える。そして、そのお礼
として、あなたは彼に対し、敬意をささげるのである。この両者の
間における交換は、好ましい気分を作り出す。すなわち「友好的」
という気分を・・。
第二四話 ツキとは「想念の波動」である
結局のところ、ツキとは「想念の波動」である。そして、それは自
分の周囲から、自分に向ってやってくる波動である。自分の周囲
が、暖かく好意的な気分で占められているならば、自分に向ってく
るその波動も暖かく好意的なものとなる。これがつまり「ツキ」で
ある。
ところで、その波動はまた「反射の波動」でもあるのだ。すなわ
ち、最初は自分から周囲へ向って発信した波動に反応して返ってき
たものなのである。ツキを自分から失わせる最も効果的な方法と
は、要するに、他人の気分を害することに他ならない。そして、そ
のような行為とは、例をあげれば次のようになる。
1.人にものを頼み、その結果がうまく行かなかった時、相手の善
意や親切に考慮することなく、相手を非難する。
2.自分から約束の日時場所を指定しておきながら、自分の都合で
安易にそれを変更する。
3.友人に気軽に借金を申し込み、約束した期日に返さなかった
り、知らんふりをしたりする。
4.有言不実行であり、しかもそれに対して恥じ入る風情が全然な
い。
5.正義を主張し、相手を攻撃しつづけ、相手の気分を害しなが
ら、しかも友情は続くという甘えの気持がある。
6.日常生活において、いいわけや詫びごとが多い。
7.他人のアラ探しがクセになっている人。そして、それを語るの
を楽しみにしている人。
8.長い間ご無沙汰しておきながら、しかも相手の自分に対する好
意は、全然さめていないという甘い期待を抱いている人。
9.常に、これくらいは許してくれるだろうという甘えの気持に支
配されている人。
第二五話 ツキの大部分は人脈を通じて生ずる
「ツキが落ちる」といっても、それは何もおカネが入ってこなく
なったり、失ったりする場合だけのことを意味するのではない。お
カネ以外のことにも、失ったら不幸感を覚えるものは、他にいくら
でもある。
まず「愛情」がある。異性愛、友情、自分に対する信頼度や信義を
混じえた親近感などが失われることもある。「健康」がそこなわれ
ることもある。これに関係したことが、若さや活力をなくすことも
そうである。「地位」を失い、昇進が止まることもある。信用を失
い孤立無援となるので、孤独感に悩まされるようにもなる。
ツキは人的関係を媒体として訪れたり、去ったりするものである。
つまり、ツキというエネルギー流は、コネというパイプラインの中
を流れて、人々の間に行きわたるものなのだ。ところが、多くの人
は、それを天然自然の不可思議霊妙なる力のように思っており、そ
れは人力ではいかんともしがたいように考えたり、またおまじない
などの神秘的秘法をもって、ツキを自分の方へ向けることができる
と信じていたりする。
確かにそういう部分もなしとはしないが、しかし、ツキの大部分は
人脈を通じて生ずるものであり、それはまた、自己コントロールと
いう手段で創造し得るものなのだ。つまり、ツキは人力で左右でき
るものなのである。
第二六話 成功者の特質は、自分を客観視でき
ることである
成功者に共通する特質の一つに、「自分を客観視できる」という点
がある。これは、自分と他人が相対している時、それをあたかも第
三者、すなわち観客的な目をもって、絶えず観察している、という
意味である。この方法によって、成功者は常に、より公平に自分の
言動を評価し得るのである。
将来自分の不利になるような部分を見出したら、直ちに、自分自身
のむかっている方向の軌道修正をし、もって危険を最小限にくい止
めようとするのである。そして、その次が最も大切な点なのだが、
その時点において犯してしまったミスについて、「自分自身を許し
てしまう」のである。
「な-に、オレも人間だ。ミスすることはあるさ。これからなおせ
ばいいんだ」といった風に、軽く心の中から片づけてしまう。ここ
が、多くの凡人と成功者の異なる点なのだ。すなわち、軌道修正の
あとは、あっさりと忘れて、くよくよとそれについて悩まないので
ある。ところが、凡人は犯してしまったミスは返らぬことと知りつ
つも、いつまでも後悔しつづける。それでいて、自己方向の軌道修
正は行なわないままなのである。
それでも、凡人は失敗者に比べれば、まだましであろう。なぜな
ら、人生において常に失敗をくり返すものは、自己客観ができず、
自分の犯したミスに気がつかないままだからである。その結果、人
心は自分から離れて行き、ツキは次第に落ちて行く。ところが、こ
の失敗者は、「なぜ、私はこのように運が悪いのだろうか?」と首
をかしげるばかりなのである。
第二七話 信念の力を用いる者が成功者となる
あることを成功させるためには、その結果としての成功の姿を信じ
念じつづけられるか?ということが、その願望者に課せられた必須
条件になってくる。しかし、世の多くの人は、この信じ念じつづけ
るという意識行を、いつの間にか放棄してしまうか、あるいは、そ
んなことが出来る筈はないといったような疑い、あるいは不安にさ
いなまれる結果、その成功から遠ざかってしまうのである。
成功を念じつづけるとは、その成功をイメージ化し、ドラマ化し、
それを想像して楽しむということなのである。それは決して、神に
嘆願するような祈りのたぐいではない。そこに焦りや、苦しみの訴
えなどがあってはならないものである。それは、楽しい想像であ
り、未来の喜びの先きどりである。これを習慣化する人こそ成功者
としての第一条件をそなえた者である。
第二八話 成功のイメージを絶えず脳裏にえが
け
成功のイメージを絶えず脳裏にえがいていると、その思念は潜在意
識下に深く沈み、たくわえられて行く。これを仏教哲学ではアラヤ
識と呼んでいる。人間のおこなった行動の記録は「業」というもの
になって、アラヤ識に貯えられ、やがてそれは未来において、何ら
かの体験をするための原因となるのであるが、これと同様に強い思
念もアラヤ識に入り、業となるのである。
結局のところ、ツキというものも、この業のなせるわざの一つなの
だ。しかし、業には、その人に益をもたらすものと、害をもたらす
ものの二つがある。そしてそれは思念が良きことであるか(成功)
または悪しきこと(失敗)であるかの違いによって、益か害かに分
かれて行くのである。
第二九話 挑戦を続ける者に勝利は来る
成功の思念をつづけられる人は、また現実行動においても、さまざ
まな手段をうむことなく試みられる人々である。成功は思ったこ
と、願ったことの現実化であるから、勿論、行動しなければならな
い。しかし、始めは財力もなく権力もコネもない状態である。ここ
では、考えつくことの限り、他人のアドバイス、また本などで得た
知識、また突然のひらめきなどすべてを試し、それに挑戦してみる
ことが必要である。
いくつもの小さな失敗、また大きな障害があなたの眼前に立ちはだ
かることだろう。ある時は、ある方法や手段をあきらめ、後退をよ
ぎなくさせられることもあろう。しかし、あきらめず、あらゆる方
法に挑戦しているうちに、きっと手ごたえのある答えが示されてく
るものだ。これこそ、潜在意識(アラヤ)からの応答であり、成功
の扉を開ける黄金の鍵なのである。
第三十話 チャンスには可能な限り挑戦してみ
よ
潜在意識からの応答は、どれが真実のものであるかの判断は非常に
むすかしい。それは、潜在意識はその構造が表層意識と全然異なっ
ているものだからである。潜在意識の深遠な計画を、時としては、
皮相な人間智をもってはうかがい知ることが出来ない場合もある。
そして、ことが成功したあと、ふり返って見ると、自分では一番関
係ないと思っていた方法が、実は成功への最短距離であったという
場合が少なくないのである。
だから、日常生活の中で、現れたチャンスや、アイデア、ヒント、
アドバイスなどは、資金力や可能性の段階で無理なく行なえるもの
はすべて試してみることが必要である。そのように、できるだけ全
部にトライしている内に、真なる応答を見つけることができるの
だ。
第三一話 成功には三つの要素が必要である
成功を念じつづけ、行動しつづけている内に、一つのチャンスが
やってくることによって、一気に上昇気運にのる。これを古人は
「天の機」と呼んだ。およそ、人生において勝利をもたらすには次
の三つの要素が必要である、という。
一、天の機
二、地の利
三、人の和
つまり、チャンスを迎える時、よい場所にいなければならない。こ
れはしかし、日頃から行動していれば、潜在意識の導きで、自然に
運の良い場所にいつの間にか来ているものである。次に対人関係で
は、より多くの人々を自分の協力者となるよう、自分の感情をうま
くコントロールできなければならない。怒り、不快感などをあらわ
に出して、人心をいたずらに遠去けてはならない。
すなわち、自分に魅力をつけて、大勢の人々をひきつけ、ともに栄
えて行くよう配慮することである。しかし、人の和といっても、そ
れは常に人に対して服従的であれという意味ではない。ここは誤解
なきよう強調しておきたい点であるが、時には、自分にとって不利
益をもたらす人物は断固として、それを去らしめなくてはならない
のである。
それは成功のための「計画の組織化」また「合理的な運営化」にお
いては、欠くべからざる対応策である。しかし、そのような場合で
も、いたずらに人心の恨みをかうような言動はつつしむべきであろ
う。要はその者を自分から遠ざければよいのだから、できるだけ穏
やかにことを運ぶ方法が安全である。すなわち、これも「人の和」
を保つための一法なのである。
第三二話 失敗を恐れると成功にたどりつけな
い
実に平凡な格言だが「失敗は成功のもと」という言葉がある。この
言葉だけでは平凡だが、しかしその真実の意味を理解している人は
少ない。その真実の意味とは「失敗を恐れるな」ということなので
ある。また「失敗を避けようと思うな」という意味にさえ、時と場
合によってはなる筈だ。
なぜなら、「どのような失敗にも、必ずそれ以上の価値を生み出す
種子がひそんでいる」からである。またこの世には「体験という月
謝」を支払うことなくしては得られない教えというものがある。人
はそれを「経験」と呼ぶ。失敗を恐れてばかりいる人は、決断ので
きない人である。決断を迅速果断に行なえない人は成功者たり得な
いことについては、この書の法則、第十五話ですでに述べた。
嵐を恐れず海に乗り出し、生命を賭けて成功を獲得しようとする勇
者のみが、その報酬を手にするのである。障害はその時点において
挫折しないかぎり、それは一時的な敗北にしか過ぎず、失敗である
とはいいがたい。失敗とは要するに望んでいたものが、最終的に手
に入らなかったことである。だから、小さな障害また大きな障害が
次々と自分の前に立ちはだかろうとも、一つずつそれを乗り越えて
行けば、それは済むことである。
そして、ことを興せば、この障害は必ず生じてくるものなのだ。少
しの障害、解決しなければならない問題が生じてくることなく、や
すやすと成功を得られるというケースはこの世の中には殆んどない
のである。だから、諸君、よろしく、君の舟を恐れることなく、大
海にこぎいだせ!
第三三話 失敗者を援助してはならない
「破産」「失脚」「落選」「失恋」などから始まって、精神病院
や、刑務所まで入った人まで含めて、自分の欲することを得ること
に失敗した人々には、およそ、その失敗するための特質あるいは欠
点という要素をそなえているものである。特に、前記の失敗例のど
れかを何回もくり返している人間は、まず間違いなく、失敗するた
めの心構えというものをもっているものだ。
例えば、私の知人に、常に人との約束の時間に遅れる人がいる。彼
の考えはこうなのである。「たとえ、遅れ遅れでも、仕事は片づい
て行くからいいじゃないか」これは何という自己中心的な考え方で
あろう!彼は待つ人のイライラする、その不快感を自分が与えてい
ることに少しも考慮していないのだ。結果として、彼から人心は去
り、彼の周囲にいるのは、同じような失敗者ばかりである。そして
彼は、借金の山にあえいでいるのだ。
この衰運のもとは、彼の心下にある失敗要素であり、これを取り去
らないかぎり、彼にとっての成功のチャンスはないであろう。この
ような失敗者に頼られても、彼らに救いの手を伸べてはならない。
たとえば気の毒さのあまり、金を与えたとしても、仕事のチャンス
を与えてはならない。また、たとえ仕事のチャンスを与えたとして
も、自分の成功のための協力者には決してさせてはならない。
失敗者は、その失敗要素を心から無くさないかぎり、再び失敗をか
さねる。そして、失敗した時、自分を助けたあなたの手を噛むので
ある。すなわち、横領したり、他人にあなたの悪口をいいふらす。
これは、あなたの成功へのツキを大きくそこなうものである。
第三四話 自分の失敗要素を取り除け
しかし、もし自分が失敗者の側であったとしたら、これはどうだろ
う。原理は第三十三話のケースと同じである。すなわち、自分には
失敗要素があったのだ。それを因として、失敗体験が果として現わ
れたのだ。だから、自分の心の中から、この失敗のための心構えを
取り除かないかきり、自分は再び失敗をかさねることだろう、とこ
のように冷静かつ公平に自分を観察するのである。
そのためには、反省も必要だし、また、友のアドバイスも必要とし
よう。そして、自分の欠点を発見したら、全力をあげて、その欠点
を矯正するよう努めねばならない。この努力をくりかえし、遂にそ
の欠点を除去した時、はじめて、あなたは失敗型人間から、成功型
人間への道へ、自己の軌道修正をすましたことになる。
このような軌道修正をすますことなく、友人やコネを頼って、何か
の助けを求めることは無駄であり、かつ有害でさえある。あなた
は、良き友、有力者の好意を心ならずも裏切り、人心とツキを自分
から去らしめてしまうからだ。苦しくても、人の力に頼らず、ここ
はまず己れ自身を改善することだ。その改善に成功すれば、それは
すなわち大成功のための第一歩の成功なのである。
そして、その小さな成功の実証を世人に示すことができた時、あな
たについての信用もそこに生ずる。やがて、それはあなたへの信頼
となって行く。このようになって行けば、こちらから頼んで行かな
くても、向うから助けは、あなたに訪れてくる。すなわち、ツキは
こちらに廻ってくるのである。
第三五話 利を与えず、自分に利をもたらすこ
とは出来ない
Yカントリーというゴルフ場の評判はよくない。というのは、会員
が込みすき、サービスが悪いというのがその理由である。前の人が
つかえているため、自分の打つタイミングになかなかならず、イラ
イラする、と休日会員は特にぼやくのである。にもかかわらず、Y
カントリーの会員券はよく売れるし、経営会社はこの他に十数か所
のカントリーを所有しているが、その運営状態は良好である。
その理由は簡単だ。それは会員券が安いからである。安いものに
は、人はむらがり寄る。これは一つの真理である。一方、東京一高
いと自称するFという寿司屋がある。ここも毎晩なかなかの盛況で
ある。なせか?それは、客に優越心を満足させるからである。金の
かかった設備。厳選されたタネ。お客を王様の気分にさせるサービ
スぶり。客の自己重要感は、この高い寿司屋に行ったと人に話すだ
けでも高められるのである。
この二者に共通するものがある。それは両者とも、客に利を供して
いるという点である。すなわち、前者は形ある利「安価」を、後者
は形なき利「優越的快感」を・・。人は自分に快感を生じさせてく
れるものに魅きつけられて行き、しばしばその代償に、おカネを支
払うのである。
しかるに、この世の中には、利を人に与えずして、自分ばかり利を
得ようとして、やっきになっている人々が何と多いことか!数十万
円もする健康器具あるいは児童教材、その原価は一万円そこそこの
ものを、言葉巧みに人に売りつける人がいる。これらの人に人心は
魅きつけられるであろうか?否である。その金額に比し、その実利
はあまりにも小さい。人々はがっかりし、結果ツキは彼から去って
行ってしまう。
第三六話 アイデアは時間をかけて温め続けよ
どのようなアイデアも、それにじっくり時間をかけ、目標をイメー
ジ化し、細部にわたるまで明確化しなくては、現実に世の中には生
じてこない。そして、そのアイデアはたんなる思いつきにすぎない
ものになってしまうのである。願望のイメージ化は、多くの成功哲
学書の説くところであり、それは今やことさら目あたらしい教説と
はいえなくなった。
しかし、この願望のイメージ化が、自分の人生の成功に直接関係あ
るものだったら、すなわち、ひらたくいうならば、おカネ、地位、
身分、名声などを得たいという願望ならば、そのイメージ化に当っ
ては、ぜひ次のことを考慮に入れて、それを行なわねばならない。
それは「いかにして、大衆に利益をもたらすか?」という命題であ
る。その利益とは、たんにおカネだけではないことは、第三十五話
ですでに述へた。
要するに、それは人々を良い心持ちにしてあげることなのだ。これ
はいうなれば、人々に喜びを奉仕する作業である。アイデアがたん
なる一つの思いつきから、そこに大衆への奉仕という要素が取り入
れられて、次第にその姿が脳裏において明らかになって行くにした
がって、ツキはあなたの方に近寄ってくる。そして、あるコネを得
て、そのアイデアは突然、この現実界に姿を現わし、大鳳のように
大空に羽ばたくことになるのだ。
第三七話 「礼儀とサービス」を活用するもの
に、ツキは訪れる
炭焼きの安いリプステーキで評判のステーキ屋が六本木にあり、以
前、よくそこへ私は人をつれて行ったものである。しかし、ある時
を期として、私はぴたりと行くのを止めてしまった。その理由は新
しく来たマネジャーの態度にあった。その店は安くて狭いので、い
つも客が立てこんでいて、入口で並んで待っている客も少なくな
かった。
それで、このマネジャーは、より多くの客をとりたいために、今
テーブルに居る客に、何となく早く出て行けがしのそぶりをしたの
である。まだ少し残っているアイスクリームの皿をさっさとさげた
り、足音あらく床を鳴らして歩いたり、食器類をガシャガシャと音
を立てて置き、従業員もそれにならっていた。
バーゲンには通常、礼儀やサービスは無視されがちである。しか
し、このような心構えでは、人より抜きん出た成功者になることは
出来ない。特に前記のステーキの場合は特に大切な点だが、ステー
キとは庶民にとってはぜいたく品である。すなわち、たとえそのス
テーキは安いとはいっても、庶民はささやかなぜいたくを楽しみに
来たのである。
その人々に対して、早く出て行けがしの態度を示したらとうなるで
あろうか?いうまでもなく、それらの人々の自己重要感は大きく引
き下げられるのである。かくして人心は去り、ツキもそれと共に去
る。それはこのマネジャーから去るのであるが、同時に、この店の
オーナーからも、そのツキを奪うことになる。
礼儀やサービスは、おカネなどと違って、無限に誰もが有している
資本である。しかし、その資本を知らずして出しおしみしている人
間は意外とこの世には多いのである。この無限の資本を活用せよ。
そうすれは、ツキは自然に自分の方へむいてくるのだ。
第三八話 不安や恐れを好むな
奇妙なことだが、ある人々は不安や怖れが好きなのである。ある女
性は私にこう訴えた。「私にはテレパシーの能力があって、それが
恐ろしくてたまらないのです。なぜなら、私の悪い考えが、テレパ
シーで私の好きな人に伝ってしまって、その人が私を嫌いになって
しまうのではないか、と思うのです」
私は彼女にいった。
「では、その人のために、良いことだけ思ってあげれば良いのでは
ありませんか?」
「はい、でも、私も人間だから、時には、ちらっとでも悪いことを
考えてしまいますから。それに、私のテレパシーは、良いことは伝
わらず、悪いことだけが伝わってしまうのです」
「ところで、あなたのテレパシーが他人に伝わったという物理的証
明はてきます?」と私はたずねた。
「それは出来ないのです。でも私には解るんです」と彼女は答え
た。
「だったら、平気ですよ。あなたにとって実証不可能なことは、他
人にとっても実証不可能なんです。悪いことを考えたな、といって
他人があなたを責めても、あなたは、そんなことを私は考えません
でした、といってとぼけてしまえばよろしい。なにしろ、物理的に
証明出来ないことなんですから、とぼけることは出来ますよ」こう
私は答えた。
彼女の表情はなお不満気であった。というのは、彼女は一言でいえ
は、恐れていたいのだ。このように荒唐無稽なテーマでなくても、
ある人々は、怖れを好み、その快感の中に漫っているものである。
それは、怪談やお化けを好む心理とも似ている。
第三九話 自分の心をコントロールすれば、そ
の瞬間から幸福になれる
「宝島」「ジキルとハイド」などで有名なロバート・スティーヴン
スの言葉に、「幸福であろうとする義務ほど、われわれが過小評価
している義務はない」がある。多くの人々は「幸福とは、心の持ち
方の問題」という。では、その心の持ち方は、具体的にいって、ど
のように持てばよいのか、というと、あまり明確に述べられる人は
少ない。せいぜい、「足りることをしること」「あまり欲をかかな
いこと」「毎日、感謝の生活をすること」という、仏教古来の諦観
について述べるくらいである。
考えてみれば容易に解ることであるが、諦観つまり「あきらめ」ば
かりでは、この世における物質的成功が得られるものではないの
だ。「幸福とは、あきらめと同義語である」というなら話は別であ
るが、公平に考えてみれば、貧乏のどん底や病気の真只中にあって
も、幸福であることは出来るといって、理論では解っても、その実
践は困難であろう。
では、その心の持ち方とは、どのようにしたら良いのだろうか?こ
れには、不幸な人の不幸な心の状態を見てみれば解ることだ。不幸
な人は「過去を後悔し、未来を心配し、現在に不平をいっている」
そして、苦しみを自ら作り出し、その中にひたっているのである。
だから、幸福になるためには、その反対を思えはよいのだ。
すなわち「過去の失敗体験を思い出さず、成功体験を思い出して良
い気分になり」「未来には大きな願望を抱き、その夢に酔い」「現
在については、まだ得られていないものを数えず、すでに得られた
ものを数え、それを喜び、間断なく感謝しつづける」。このように
自分の心をコントロールするならば、いずれなどではなく、その瞬
間から、あなたは幸福になれる。
第四十話 「あせり」こそ不幸の元兇である
「おそらく大罪はたった一つ・・焦燥である。焦燥のために、われ
われは楽園を追われた。そして今、焦燥のために、われわれは楽園
に帰ることができない」実存主義文学の先駆者、フランツ・カフカ
の言葉である。「あせり」この言葉こそ、私たちの成功、いや全人
生までを暗く色とる不幸の元兇のように思える。
「健康的な意欲」と「煩悩執着」との違いはどこにあるのだろう
か?多くの人々は、これを「欲望の大きさ」のように錯覚している
が、これはとんでもない間違いである。「一億円貯めよう」と「一
千万貯めよう」と目指す両者において、その目標が大きすきる前者
の方が煩悩執着であって、後者の方が健康的な意欲であるという訳
ではない。
要はその目的の大きさにあるのではなく、それを目指した人の心の
在り方にある。すなわち、未来の希望を夢にえがき、燃えるがごと
き欲望をかきたて、毎日を張り切って生きるものと、思ったように
ことが運ばない状能をのろい、また「あせり」ながら暗い気分で生
きるものとの違いである。
同じ目的を持った二人がここに居る。たとえば、百万円貯めようと
している若いサラリーマンとしよう。二人は、毎月三万円貯金しよ
うとしている。ところが、その月は出費が重なり、一万円しか貯金
できなかった。すると、一人は「ともかくも一万円は確保できた。
ありがたいことだ」と喜び、もう一人は「ちくしょう!たった一万
円しか残せなかった」といって嘆くのである。
百万円への道において、幸と不幸の分かれ目は、目標へのあせりが
あるかないかによって定まる。希望に燃え、それに励むことは必要
であるが、あせりは現在を不幸にすることを忘れてはならない。
第四一話 大切なのは知識でなく行動だ
知識のみを重要視する人は大成できない。とかく、知識のあること
を誇ったり、また他人の知識のみを尊重し、その知識に頼って自分
の方針を決定しようとする人々には、適切な行動がともなわないも
のだ。大切なことは、その知識にもとづいて起こされる行動であ
る。この行動の意味は二つある。
その一は自らの行動である。その二は他人を自分の望む方向への行
動に駆りたてることだ。そして、この二つの行動は、最終的には、
その人自身による果断な決定によって起こされるものなのである。
常に他人の知識に頼り、他人の意見に左右される者に成功の報酬が
もたらされることは少ない。
第四二話 行動は断固とした意志決定にもとづ
け
なぜ、知識重視がまずく、行動重視が必要かというと、それは前者
は人心を去らしめるからである。あなたに利益をもたらす人、すな
わち協力者は、行動力を持つ人を好むものである。そしてその行動
力とは、断固としたその人自身の意志決定によるものである。自分
で自分の意志決定のできない者は、常に他人の知識、他人の意見に
頼り、それらで物事を決定しようとする。
ある時は専門家、ある時は友人、時には自分の妻にまで相談し、迷
い抜いた末、やっと意志決定し、しかも自分自身の意見を依然とし
て持てないのである。このような人を尊敬する人々は少ない。そし
て、その敬意のなさは、人心がこの人から去ることによって証明さ
れるのである。
第四三話 恐怖心を与えることも時には必要だ
「恐怖心を人に与える」これの操作についてよく知っている者は、
あらゆる組織のリーダーになれる。この場合の恐怖心とは、いわば
劇薬であり、また時には毒薬ですらある。一般的かつ通常的にいう
ならば、この劇薬は用いるべきではない。不用意に他人、特に自分
の部下の心に恐怖心をかき立てるようなことは決してしてはならな
い。リーダーは、常日頃は陽気で明るく、人に希望や勇気を与える
よう振るまうべきである。それには、他人に対し、理解し、同情
し、かつ公平無私な態度で接するよう努めることだ。
このようにすれば、多くの人心を自分のもとに引きつけ、かつ自分
に協力してもらうことが出来るようになる。しかし、しかしであ
る。ごく時たまであるにしろ、自分への協力者が、協力者自身の利
益のために、こちらへ不利益をもたらそうとしている場合がある。
このような時、事があまり大きくならぬ内に、この人間にその方法
が危険であることをひそかに告げるためほんの少量でも劇薬を用い
るべきである。
すなわち、やんわりと恐怖心を生じさせるのだ。事業主であれば、
相手に専横な行動は自分の職を失うかもれないことを、暗に示すこ
とである。また、一罰百戒という言葉もある。これは一人を罰する
ことによって、他の大勢の自分への協力者の専横をいましめること
になるのである。ただし、くれぐれも、この劇薬はそのあつかい方
に慎重でなければならない。また、めったに使用してならないのは
勿論である。
第四四話 専横はつつしむべきだ
「専横」とはどういうことであろうか?これは「もっぱら横におい
て通ずる」という意味である。いいかえれば、縦に通ずることを故
意に怠り、上部に計ることなく、自分の判断で横にのみ動くという
ことである。このようなタイプの人間は、組織の中に入れば、殆ん
どの場合失脚する。殆んどといったのは、天才的有能者ならば、そ
こから生ずる利益性のために、上部は我慢して目をつぶる場合もあ
る、という意味である。しかし、多くの場合、このような天才はそ
ういるものではない。そこで凡人は、自分自身の力を過信して、結
果失脚してしまう。
昔、中国のある王様が、兵法の大家、孫子に向って「女でも強い軍
隊になれるか?」と尋ねた。孫子は「なれる」と答えた。そこで王
様は、後宮の美女たちを貸すから、それを軍隊として動かしてみ
よ、といった。すると孫子は「よろしうございますが、それには、
私がどんな命令をくだし、またどのような処置をとっても、決して
私に逆らわず、また私をお怒りにならないというお約束が必要で
す」といい、王はそれに同意した。そこで孫子は、王の一番の愛妾
を一軍の隊長とし、美女数百人を調練しようとした。ところが、こ
の愛妾は傍らの美女たちと、げらげら笑っているばかりで何もしな
かった。
すると孫子は決然として、この愛妾に斬首を命じ、その場で首を斬
り落させた。ここで美女群のすべては、粛然と統率され、武器を
持って進退すること、一糸の乱れもなかったという。思うに、この
愛妾は王の愛寵を頼み、すなわち自分の力を過信して、左右の仲間
たちと意を通ずるばかりで、上部つまり孫子の意を自分に通じさせ
なかったことにより、身をほろぼしたものであろう。これがつまり
「専横」である。
第四五話 声の表情はツキと大いに関係がある
声とツキは多いに関係がある。声から受ける印象に、人は意外に敏
感なものである。ただし、敏感ではあるが、普通それと意識されな
いで、その印象が伝えられることが多い。すなわち、その人にとっ
ての好ましい声とそうでない声は、無意識的に選択されるのであ
る。そして、それは目から受ける印象その他と総合されて、その人
の印象は形成される。だから、声の与える印象の力というものは顔
の表情が与えるそれと比べて、優るとも劣らないほど強いものがあ
るのだ。
顔に表情というものがあり、それを自らコントロールして、そこか
ら「寒気」を取り去ることの重要なことについては、すでに前に述
べた。声についても同様である。生れつきの声の質はある程度宿命
的なもので仕方のないところだが、それでも、それは歌の発声練習
などで、いくらかでも改善されよう。しかし、それより大切なの
は、顔の場合と同じく、声という土台そのものより、声の現わす表
情である。
声というものは、感情のあり方をよく反映するものだ。たとえば、
常に他人の非をとがめる気分にある人の声の相は、とがり声にな
り、陰うつな感じを与えるようになり、やがてそれは習い性とな
り、その人の一部となってしまう。故に、声をととのえるとは、自
らの感情をととのえるという意味でもある。自らの感情を、つとめ
て明るく希望的な気分の内におくべきである。こうすれば、声も明
るくなり、人々に希望と喜びを与えるようになる。かくて、ツキが
この人に訪ずれてくることは最早明白であろう。
第四六話 肩書をひけらかすな
肩書きをひけらかす、という行為は、ツキを自分から追いやる行為
である。これはなぜかというと、他人の自己重要感を押し下げよう
という行為だからである。必要もないのに、自分の所属する有名会
社の名前や、地位について、すぐ喋るのは、相手に対し、自己の優
越性を暗に誇示しようとする態度となる。
この行為を受けた人々は当然、かすかながら不快感を覚える。そし
て、このような肩書きをとかくひけらかす人は、陰に陽に自己優越
の印象を相手に与えて行こうとするので、その不快感はだんだんと
増大して行くのである。
こうして、人心はこの人から次第に遠ざかる。奇妙なことに、この
種の人々は、歯の浮くような、下手くそなお世辞をよく並べたてる
ものだが、これは、人心の離れて行くことに気づき、それをつなぎ
止めようとして、無意識の内にとる行動なのである。しかし、これ
をやった後で、またまた、自己優越の印象を他人に与えようと、無
意識的行動をとるので、もとのもくあみという結果になってしま
う。
この人は、自己の心内に巣くう自己劣等意識にまず気づかなくては
ならない。なぜならこの人は、その劣等意識の苦しさに堪えかね
て、そのような優越的行動に出るからである。自らの劣等意識を自
ら発見し、これを解消しさえすれば、自己優越確認の行為を他人の
面前でとろうとしなくて済むようになるであろう。
第四七話 眼前にある小事に欲望の火をかきた
てよ
自分がどんなことを望んでいるのか解らず、しかも人生において何
らかの成功をしたいと、漠然と思っている人がいる。これぐらいバ
カげた考えはない。自分で、自分の望みが何たるかを知らないので
は、その望みをどうやって達成すべきか、その方策の立てようがな
いではないか?だが、実際のところ、多くの成功者は、初めから遠
大な計画を立て、それに向って突き進み続け、遂にその地点に到達
したという訳ではないのである。
勿論、漠然とした夢のような願い、イメージを持っていた人は多
い。しかし、それよりも、明確な目標として越えようとしたのは、
その時、その場の眼前にある小さな望みだった。マラソンの選手
は、苦しくなると、ゴールについては考えず、次の角、次の電柱ま
で、とにかく走ろうと考え、そこを越せたら、また次のどこか、目
に見える地点までは行こうと自分にいい聞かせるという。
吉川英治の太閣記の中でも、秀吉は最初から天下人になろうと目指
していた訳ではないといわせている。ただただ、その段階、その職
分において、もう一歩上にはい上がってやろうと目指し、それを越
えると、また次の目標が現れ、それをまた越えると、これをくり返
している内に、遂に位人臣をきわめることになったという。
登山も同じである。最後の項上は見えない。幾つもの山がその前に
立ちはだかっているからだ。それで登山者は、眼前に立ちはだかる
山を目標とし、ただそれを目指す。そしてそれを乗り越えた時、次
の山が現れるのだ。これを、成功哲学においては、短期目標とい
う。
第四八話 何をやっていいかわからない時、お
カネをためようと思え
「短期目標にしろ、長期目標にしろ、私には何をやっていいのか、
そのイメージがさっぱり湧かないのです」と悲しそうに、私にいっ
た人がいる。それについて私はこうアドバイスする。
「どんなことをするにも、殆んどの場合、おカネがいるものです。
だから、やりたいことのイメージが湧いてくる前に、その資金をた
めたらいかがですか?とりあえず、百万円とか目標額を定めて。そ
のおカネをためるためには、収入を増すことと節約することについ
ての工夫と努力がいります。すると、工夫はアイデアを生み、その
アイデアでイメージも湧いてくるものです」
勿論、世の中には、ただただおカネをため続けることのみを目標に
している人もある。だがそれでも良いではないか?ただ、その方法
手段において、他人を泣かさなければ、の話であるが・・。短期目
標の最も容易なもの(達成容易という意味ではなく、誰にも考えつ
くものという意味)は、おカネをためるという目標である。
そしてこの短期目標を早く確実に達成するため、この人はいやおう
なく、何かの増収手段について考えをめぐらし始める。するとおカ
ネ以外の何かの目標イメージが、この人の脳裏に生じてくる。これ
が新しい短期目標であり、この時、この人は「自分のやりたいこと
のイメージ」を初めて掴んだことになるのだ。
第四九話 人の心は感動によって動かされる
「人間は感情の動物である」この古い格言について、人々はそれと
知っていても、この言葉の持つ意味の重大性には、あまり注意を払
わないようである。ということは、人間は何かの意志決定をする際
には、理路整然と説かれた内容より、自分の感情の動き、つまり情
動によって左右されやすいということである。すなわち、人心は感
動によって動かされるものなのだ。
ところが、これも多くの人の間違えるところだが、この感動とは、
常に人類愛的なもの、まごころを示すものとは限らないのである。
感動とは文字通りに訳せば、感情が動かされることである。ところ
で、この感情の動きには、快なるものと不快なるものの二者があ
る。
簡単にいおう。人はアメまたはムチの両者でいうことをきくもの
だ。報酬をはずむか、クビにするぞとおどすか、そのどちらかの方
法でも、ある程度、人は動く。しかし、これはいうまでもないこと
だが、ムチをもっぱら用いる経営者からは、人心は離れがちであ
る。だから、こういう経営者は一旦矢脚したとなると、社会から手
ひどい目にあわされがちである。
だが、また、アメばかりを与える経営者も、部下に足元を見すかさ
れ、さぼられがちとなる。アメは物質であり、ムチは恐怖である。
この二者以外に、相手を感動させる方法があるだろうか?ある。そ
れは、相手の力量を認め、それを尊重し、彼の自己重要感を高めて
やることだ。「士はおのれを知るもののために死す」という。人は
自分の価値を認めてくれる者のためには死んでもかまわないと思う
ぐらい、名誉心の強いものなのである。
第五十話 説得において、正義を説いてはなら
ない
人は欠点を指摘され、それに気づいて、自らのそれをあらためるこ
とは少ない。人が自らの欠点を変えようとするのは、それによっ
て、何らかの利益を得るということを納得した場合に限る。利益に
は、前述したように、物質的なものもあるが、ツキだとか、人間的
魅力のように形なきものもある。
人を説得する時には、その得られるべき利益について、よく説くこ
とから始めるべきだ。間違っても、正義や道徳の立場から、人間は
かくあるべきだ、などと主張してはならない。そのような説き方を
すれば、十中八九、相手は不快な感情の波にのまれてしまい、もう
こちらの話を聞くまいと、耳をふさいでしまうであろう。
無能唱元プロフィール
15年間の参禅修行中に「因依唯識(いんいゆいしき)」自分の人
生の成功や幸福は全て自分の潜在意識が創り出すもの」という悟り
を得て、飛騨の円空庵禅通寺小倉賢堂師より「唱元」の法名を授か
る。
その後、数多くの仏典や西洋哲学、心理学を学び、「阿頼耶識」の
活用という、これまでにない独自の願望達成法を完成、全国の説法
会を通じて「積極的で成功する生き方」を指導。
主な著書に「得する人」「楽する人」「心配するななんとかなる」
「人蕩術奥義」等、他多数。
※日本経営合理化協会「得する人」より


















